Blue Monday

好きなものを好きなだけ

How Soon Is Now? / The Smiths

How Soon Is Now? / The Smiths

by Morrissey/Marr

 

 

I am the son and the heir of a shyness that is criminally vulgar

I am the son and heir of nothing in particular

 

you shut your mouth

how can you say

I go about things the wrong way

I am human and I need to be loved just like everybody else does

 

theres’s a club if you’d like to go

you could meet somebody who really loves you

so you go and stand on your own and leave on your own

you go home and you cry and you want to die

 

you say it’s gonna happen now

well when exactly do you mean?

see I’ve already waited too long

and all my hope is gone

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=hnpILIIo9ek

 

和訳(自己訳、誤訳がある可能性あり)

 

僕は、おぞましいほどの卑しさという羞恥を引き継いだ

特に何もない 平凡な子

 

君は 何と言えばいいのか、と口を閉じるだけ

僕はどんな物事も、間違ったふうに考えてしまう

僕も人間なのだから、他の人間が誰かに愛される事を求めるように

僕も誰かに愛されなければならないんだ

 

クラブに行きたければ行けるよ

そして、本当に君を愛してくれる人に会えると思う

でも、そうしてクラブにいっても、フロアに一人で立ちすくんで

一人でクラブを去って

家に帰ると、ただ泣いて、死にたくなるんだ

 

君は”今”それが起こるって言ってるけれど

それはどういう意味なの?

”今”って正確には、いつのことなの?

ねえ、僕は”今”が来るのに待ちくたびれて、絶望しているんだ

 

 

 

 

この頃のマンチェスターのクラブといえば”ハシエンダ”。

灰色の工場の街の真ん中にそれはあった。

その”マッドチェスター”とも言われたような、マンチェスターのムーブメント。

産業革命発祥の地として、近代世界の象徴であったマンチェスターは、二度の戦争を経てイギリスがすっかり大英帝国の栄光を見なくなった時代には、もはや瓦礫の街になり、一戦後復興として建てられた現代的なコンクリートのビルが混在する奇妙な街だった。

マンチェスターはこの時代、もう一度革命的な街に生まれ変わった。

 

若者はクラブで、天上の政治の憂さ晴らしをする生活。 救いがないような閉塞感。無抵抗運動とも呼べるような地下の音楽の世界がそこにはあった。(しかし救いは数年後、ブリットポップの到来でやってくることになる、らしい)

セカンドサマーオブラブといわれるようなブームがやってくるように、若者は”今”しかない精神世界の中に、レイヴパーティでドラッグとクラブ音楽の力を借りて浸った。

 

しかし、この曲では、そこで交わされる軽率な愛の約束に対する虚しさと、その虚しさに自分だけが気付いているような孤独感、そして気後れしてしまう気持ち。 そういったクラブカルチャーに対する疑問を投げかけているのでは、と1つには思う。

 

そういった軽率な愛、人間関係を拒みながらも、孤独の中で生きていけるほどに強くはないという、自分自身の揺らぎ。”今”はもっと完璧であるはずだ。しかし、 ”how soon is now? =今はいつやってくるの?” という疑問を投げかけるばかりで、”今”はどうも”今”ではない。自分と周囲の”今”に対する認識のズレがある。

 

自分には”今”が来ない、”今”は未だ来ていない、と慎重に愛を、友情を、映画で見たような永遠の若い甘い日々を、ただ待ち望んでいるだけ。しかし周囲にはもう”今”はやってきている。彼らの”今”は、映画のように完璧でもないし、本心からの思いでも何でもないものでも、ただクラブに通い詰めて自分も社会も生活も、何もかもがクスリでよくわからなくなっていても、”今”は”今”だ。ただそれが、自分は”今”であるように思えない。だから気後れしてしまう。そして”今”はいつ来るの?、もう来ないのかもしれない、と失望に向かってしまう。 不完全な”今”を、不完全であることも気にせずに、”今”として生きること。 完全な”今”を待ちながら、失望しながらも、不完全な”今”に弄ばれながら、弄ばれまいとすること。

 

2つの今に対する認識の対立があり、それは人間の真摯な感情に対する価値観の対立でもある。