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Blue Monday

好きなものを好きなだけ

Joy Division/New Orderの権力の美学、殴り書きのメモ

 

Joy Division/New Orderの魅力について殴り書きのメモ

 

New Orderの来日公演に初めて行って来た。

以下は、わたしのでたらめな考えであることを前提として。

 

Joy DivisionNew Orderも、ナチスに由来を持つ名前だ。

Joy Divisionは、”House of Dolls”から見つけて来た、アウシュビッツナチス将校向けのユダヤ人売春宿の名前。彼らがアイヒマンをかくまっているのでは、と警察に通報されたこともあるらしい。

New Orderは、新秩序。全体主義運動の名前のひとつ。メンバーはインタビューではカンボジアの革命を伝える新聞記事の見出しから、と言っているが、わたしはナチスのほうなんじゃないか、と思っている。どちらにしても、権力を行使すること、権力を奪取すること、とかそういうものに彼らがバンドの名前の由来にするほどに興味を示していることが重要な話だ。

イアン・カーティスは結婚式でドイツ国家を流し、クラフトワークを愛聴するようなドイツびいきだし、バーナードは初めの頃、サムナーではなくアルブレヒトを名乗っていた。フッキーもナチスの危うい魅力について語っていた。

 

1つのバンドの曲が、まさかたった1つのテーマで揃っているということは、皆無だと言ってよいと思う。だからJoy Divisionの曲にもたくさんのテーマがある。例えば有名なLove will tear us apartは、恐らくイアンの個人的体験から来る恋愛の苦悩がテーマだし、Atrocity Exhibitionは恐らくJ.G.バラードだ。ここで語りたいこと、彼らのナチス的権力への愛好、それを歌った初期の曲は、WarsawのThey walked in lineだ。この曲の特徴は、他の曲には用いられていないマーチングのドラミングが入ること。そして寄せて返すような単純なコードの反復。walked in line walked in line walked in lineの反復。手拍子。何者かの見えない圧力の元で規則的に動かされる人間のどこか幸せな様子を、冷静に語る歌詞。そして聴き手にはその規則正しい反復が耳に気持ちよく、こういう音楽を好む人間は規律されたい/したい人間なんだと思う。言語化できる欲求や思考が、言語化することはできるがその真偽を検証できない音楽的な感覚によって、裏付けられるかは謎だが。

 

Joy Divisionの音楽の別の特徴は、少ないコードによる曲の構成だ。そしてチューニングはすこしずらしている。これはかなり調の認識の曖昧さを誘う。調があって、その調の中のコード進行の、一定のルールに導かれて、音楽は終着点に至る。それは西洋古典音楽が長い期間やって来たプロセスで、それは人間の多くの溢れ出る情動を、精一杯に表現できるツールなのだ。しかし、Joy Divisionはそれに逆らうことで、情動を否定し、もしかすると聴き手の情動を押さえつけているかもしれない、それが権力であって、そして機械的な冷たい何かなのだ。まるで止まらない工場の機械のような。それは規則的で反復の多いドラミングと、歌詞の反復によっても、感じるものだ。何かが繰り返し、繰り返し、冷たく、重く、のしかかってくる。そして機械という言葉をはっきりと意識してしまうのは、耳の鋭い聴き手にとっては、ハネットによるデジタル編集の、自然ではない音響。そして徐々に存在感を増してくる、シンセサイザーの音だ。シンセサイザーは、ドイツのクラフトワークが使っていたし、東ベルリンで制作されたボウイのlowでもブライアン・イーノが取り入れた、どこかヨーロッパの香りがするものだった。

 

そしてイアンはボウイやイギーが好きだった。それはロックンロールスターと言われる人達だ。ボウイはヒトラーを世界初のロックンロールスターと言った。ロックンロールスターは、独裁者とその本質を共有している。個人に対する悪趣味な愛着、幻想のような人物認識が加速すること、影響力、もはや権力。イアンがボーカリストを始めたことと、ナチス趣味を持っていたこと、そこには同じ、権力に対する愛着という欲求が見え隠れしている。彼は独裁者の第一候補だったところを、自らの意志でやめたのだが。

 

バーナードとフッキーは、暗鬱な音楽には反対だった。ピストルズに感化されてバンドを結成した彼らだったから、先のパンクに見られるような、鋭い刺激を求めていた。それは確かに、Joy Divisionの音楽では、特にスタジオアルバムに収められたような曲では、不足していたのかもしれない。速いテンポだとか、凶暴なギターだとか。それが開花したのがNew Orderだ。彼らの刺激への快楽が全て向けられている。(本当に?と思ってしまうかもしれない。New Orderの快楽は確かに、もはや古いもので、近頃のハードコアテクノとか、ミクスチャーとかそういうものの刺激に慣れている人には、生温いものであるかもしれない。けれど例えば、ピストルズとかダムドを聞いても、我々には同じように、首を傾げてしまう。彼らも昔は最凶だとか言われていたものだ。New Orderも、当時はそんなものだったんだろう。)

New Orderの音楽は、快楽の中で、胸をじわじわと苦しめてくるようなものが多かった。最近のものはそうでもないが。個人的に好きなのは、MovementからLow Lifeまでのあたりだ。明るさの中にあるけだるさと、希望。暑い暑い高校生の夏休みのはじまりのような。そんな音楽。長調と、情動的な歌と、ちょっとした不協和音や短調和音、そしてやはりどこか内省的な部分を捨てきれないような歌詞。イアンとバンドを組んでいた人達だ、と安心できるような。そして、聞いた事もないような電子音。それは音楽の未来を想像して胸が高鳴るような音。

とはいえ、新秩序という名をつけられたNew Orderにも、権力/規律というテーマはあるのだ。それは工場の機械のように規則的な電子ドラムのキック、そしてやはりこだわりの反復だ。それに合わせて聴き手は身体を規則正しく動かしてしまう。なんという全体主義のceremonyだろう。そして聴き手は安定の安心の中にいながらも、我々を操ってくる可逆的権力の根源であるNew Orderの面々に、憧れを抱かずにはいられない!そうだ、彼らがいくら恋だとかなんだとか歌っていても、彼らはやっぱりJoy Divisionだったのだ。

こじつけ的に話せば、ピーター・サヴィルのグラフィックアートも、無人のアートであり、やはりどこか人間的なものからかけ離れたように感じる。そして、彼らの出身であるマンチェスターという街は、産業革命の中心都市で、工場と労働に象徴される近代の、酸いも甘いもを知る都市なのだ。彼らの音楽はマンチェスターアンビエントだと評され、そしてまた再びマンチェスターを世界水準の都市にした。

マンチェスターが衰退して行く中でも、彼らは機械的な音楽を作り続けた理由は何だろうか。それが故郷だからか。そしてそれが、特に新しい機械、シンセサイザーが、まだ新たな音楽の未来を予兆させるような肯定的な印象を聴き手に与えるのは、もう機械には倦んでいるはずなのに、どうしてだろうか。そして近代の象徴である絶対性、統一、理性、ファシズム的権力、それらに憧れ、わかるように主張し、それらを音楽化し、そして聴き手はなぜか安心している。とてもおかしな矛盾を孕んでいる。

それは我々がまだ近代の申し子であって、ポストモダンの中にあっても、まだポストという接頭語をつけてしか我々のことを語れない状況にあるということである。我々は近代に倦んだはずなのだ、それでもまだ、愛しているのだ。マンチェスターが故郷だったら、そこは一生故郷として、肯定し続けなければいけない。

でも、それはあまり声を大にしては言えなくなってしまったのかもしれない。特に政治の世界ではそうだ。その欲求を満たしてくれるのは、周縁Sub-Cultureの中にあった、音楽だったのだ。大人は一部の若者の、地下組織のような、秘密結社のような、音楽のたしなみをよくは知らない。その中で、毒を抜かれた近代的なものがうずまいていて、皆がそれを堪能していても、社会は大して気にしない。個人の不安から群れる人々を無責任だとか糾弾しない。絶対的な価値観のもとで思考を辞めてもいい。ハーケンクロイツ毛沢東の顔を一緒のTシャツにデザインしてもいい。毒を抜かれた、というのは、独裁者ではなく、ロックンロールスターを目指すところにあるのだ。

ところでその形態は、パンクとポストパンクのあいだにかなり変わった。パンクはまだ近代が許されていた。どうせ周縁なのだから、と。人々は群れをなして暴力をふるった。それはまるで労働組合の集団行動のようなやり口で。そして直接的に政治を批判する歌をたくさん歌って、政治家をばかにした。厳密な知性がなくても、市民である自分が、国家による政治によって利益を被るべき存在であるということを強く自負しながら。

しかしポストパンクの時代には、もはや国家による政治はないものとされ、集団は解散した。それは不満の冬や、保守党政権への交代という社会的な風潮が背景にあるのかもしれない。それによって人々は、ポストパンクを求めた。敵がわからなくなった。パンクでは生きて行けなくなった。わかるのは、怒りと衝動だけだった。その一つが、Joy Divisionだった(あとはたぶん、Talking HeadsとかPop Groupとか、Magazineとか。もう少し直情的な層は、Oi!とかスキンヘッズになっていったんだろう。)。そして、その少し後の時代にはNew Order。もしくは、The CureThe SmithsStone Rosesなんかが頼りだった人もいた。

Don’t forget the song that saved your life、とMorrisseyは歌っている。音楽は人生となり、人生は音楽となる。

 

それを楽しんでいた若者たちの正体は一体何なのだろう。捨てられない人間の本質なんだろうか。それともその一部の若者たちが、何らかの能力不足か、当時の病理にやられていたのだろうか。モダンとは何なのだろう。若者とは何なのだろう。音楽とは何なのだろう。ただそれは感傷的な甘美さを催させ、人々を虜にし続ける。

わたしにとっての運命の相手はJoy Division、そしてちょとNew Orderだった。